先月の第二土曜日に小学校の同窓会がありました。
今年、還暦を迎えるということもあって、是非参加しようと決めていました。
48年ぶりに会えた友や恩師がそこに集い、何とも言えない感慨深いものがありました。
特に先生方がまだお元気で現役で頑張っている姿を目にして、力強いファイト!!を貰った気がしました。
また、私が小学校の4年生の時に書いた作文を持ってきた友がいて、その作文に今の私の原点があり、嬉しく思いました。
その中に、一日おきに目の不自由な先生の手を引いて、母にマッサージを受けさせていた時の事が書いてありました。
もう50年前の話です。
今更ながら、訪問治療の素晴らしさを感じることができ、これからも自分の健康管理に気を配り、皆様のお役に立てるように努めたいと思いました。
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病気の母
四年六組 幸子
母は、わたしが一年のとき病気にかかり、ことしで四か年たちますが、まだ自分で歩くことができません。
病気にかかりはじめのころは、あちらこちらの病院のお医者さんに診てもらいましたが、病気は、思うようによくなりませんでした。
その後、家で、近くのお医者さんに、ちゅうしゃをしてもらい、マッサージの先生が一日ごしにちりょうにきていましたが、母の病気はよくなりません。
母は、四か年も家の中ばかりで、わたしたちの運動会も、見ることができないのです。
そのかわり、父は、学芸会や運動会には、かならず見にきてくれます。
この間、となりのおばさんがきて、「赤十字病院はいいそうですよ。」とお話しをしていました。
母は、よく日、父につれられて、赤十字病院のお医者さんに見てもらいました。
いろいろなけんさをして、せきずいカリエスという、むずかしい病気だとわかりました。
今まで、病めいがわからなくて、心配していた父や母は、病めいがはっきりしたので、とてもよろこんでいました。
母は、すぐ入院しました。
つきそいは、わたしです。
かばんも、洋服も病院に、持っていきました。
朝は五時に起きて、お湯をわかし、母のからだをふいたり、ベッドのまわりのおそうじをします。
学校が、終わると、病院にいき、かたをたたいたり、せんたくをしたりします。
入院してからもう、三か月になります。
近ごろでは、すこしずつ立てるようになりました。二、三日まえから、おし車で、歩く練習もやっています。
この間、母は、「今年中に、たい院できるかも知れないね。」とよろこんでいました。
今は、夏休みですので、マッサージをしたり、薬をぬってあげたりしています。
そして、母の病気が一日も早くなおるのを楽しみに、みんなでまっています。
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奥濱幸子