皆さまお久しぶりです。
那覇事務局員の藤田です
さてさて、月日がたつのも早いもので、いつのまにやら今年も7月も半ばを過ぎてしまいました。
4月に久米島旅を終え、しばらく久米島帰省は無いかと思っていたのですが、今月末に短いですが帰ります
実は、長く入院生活をしていた104才になる私の婆ちゃんが、天に還りました
「こういった内容をブログに書くのもどうかな?」なんてことも少し頭をよぎりましたが、私の大好きなおばあちゃんを紹介させてください。
私たち姉妹は、母が忙しかったため、祖父母に育ててもらった感じです。
そしてたくさん遊んでもらいました!
元気で明るくて誰とでもすぐに仲良くなり、でも寂しがりやで涙もろく、情に厚いとてもとても優しい婆ちゃんでした(*'U`*)
久米島の銭田(ぜんだ)という部落から島尻という部落に一度も逢ったことの無い男性の元に馬に乗ってお嫁入りした婆ちゃんですが、嫁に来た家には沢山の小姑さんがいて、凄く不安で不安で堪らなく、お祝い事が終わったその夜に自分の生まれ育った銭田に逃げてしまったそうです(。>д<)
でも翌日、爺ちゃんが迎えに来てくれたそうです❤️
そんな始まりだったようですが、婆ちゃんの人柄でしょうか?
晩年は、小姑だった皆様とも本当の姉妹のように仲が良かったです。o(^o^)o
婆ちゃんは、みんなで海に行く時も必ず一緒についてきてくれました。
運動会には、誰よりも走って踊ってその場を盛り上げてくれました
婆ちゃんと一緒に沖縄本島にてバスに乗った時もおしっこしたいと騒ぐ私のためにバス停じゃないとこでバスを停めたりとパワフルな婆ちゃんでした。
沖縄本島の高校に通う姉のために、祖父母は浦添の沢岻に一緒に住むことになり、姉が大学を卒業するまで行ったり来たりもしてくれました。
高校のテニスの試合が、浦添のアパートの近くの時には、必ず応援に来てくれ、姉の初めて勤務した小学校の運動会には、お弁当を作って北谷までタクシーに乗って応援に来てくれたそうです
私ともう1人の姉とで住んでいた埼玉の団地にも義理の妹の叔母さんと遊びに来てくれました。
滞在中に私と姉が仕事に行ってる間に隣の駅のスーパーまで歩いて行き、お米を頭に乗せ道に迷いながらもお巡りさんに道を訪ね無事に帰宅でき美味しいご飯を作ってくれました
まだまだ楽しい面白いエピソードはありますが、ここらへんでしめちゃいます
私の長女が三才、長男が一才になる少し前に爺ちゃんが亡くなり落ち込む婆ちゃんを見ていられず、私はなかば強引に久米島にUターンしました。
ひ孫の面倒をみることで少しずつ元気になった気がしたのですが?
パーキンソン病の影響で転んで骨折、そして入院、その影響からか、少しずつ認知が進み自宅で母が介護するのも難しくなり、長い病院生活が始まりました。
久米島に住んでいた頃は年に一回程度しか本島の病院にお見舞いによれず、もどかしさを感じました。。。
琉球治療院に入社してからは、先生の運転手で患者様のご自宅にお伺いすることがあり、その度に婆ちゃんも鍼灸マッサージができたらな~って思うことも多々ありました。
リハビリ病院なので嫌がられるので断念してましたが、一度は体験させてあげたかったです(*_*)
なのでその分、いろんな方に体験してもらいたいなと考えています。
皆さま、ぜひご祖父母やご両親に鍼灸を体験させてください。
何だか伝えたいことがたくさんあり過ぎて上手くまとめきれてませんが、思い立ったが、吉日です。
自分の閃きを信じて‼️
行動しましょう