スタッフブログ

2017.08.07更新

皆さまこんにちは。

 

那覇事務員の藤田です。

 

今回は、去った7月26日に宜野湾コンベンションセンターにて行われた「故大田昌秀氏(元沖縄県知事)の県民葬」に参列させていただいた時のことをお話ししたく、手をあげてブログ投稿をさせていただきました。

 

写真01

 琉球治療院では、毎月第2土曜日に外部講師を招いての勉強会が行われているのですが、私が入社するずっと前に、講師として大田昌秀先生をお招きしていたそうなんです。

 

その後、琉球治療院が発行する会報誌にも社長の知人のコーナーにゲストとして出て下さってもいました。

 

林社長の交友関係の広さと凄さにも改めてびっくりです。

 

私は久米島出身、そして大田昌秀先生も久米島出身という繋がりだけで、大田昌秀先生は私とは全く接点は無い雲の上の存在に近い方だったのですが、何だか少しだけ近づけた気がしています(^人^)

 

ありがたいですね。

 

大田昌秀先生は、沖縄本島に限らず久米島や各地で学校などを訪問し、ご自分の戦争体験からの平和への想いを沢山の方々に語り継がれた方でした。

 

そして平和に関わる著書を多く出版されてもいます。

 

県知事時代に平和の礎を建立し恒久平和を訴え続け、沢山の功績を残した存在ですね。

 

そんな平和への想いを私ができる限り語り継いで行けたらと感じたひと時でした。

 

と言っても、たかだか50歳手前の私に大したことが出来るわけでは無いですが、頑張りたいです。

 


沖縄戦終局の地で知られた摩文仁の丘、大田昌秀先生のお話の中で民間人に扮した参謀に出会ったというお話を伺い、私の父の幼い頃の話を思い出しました。

 

私の父は、祖母と姉に手を引かれ降伏するために摩文仁の丘にいたそうです。

 

民間人に扮した兵隊が発砲したことをきっかけに銃撃戦が始まり、その際に父を守るために姉がおおいかぶさり、その上に祖母がおおいかぶさるように守ったそうですが、お尻が出ていた父は腰骨に流れ弾があたり怪我をしたようです。

 

米軍の捕虜になりながらも治療をしてもらい命からがらこの世に生を残しています。

 


さてさて県民葬に戻りますが、宜野湾コンベンションセンターにて開催されました。

 

写真02

 

午後2時からの開催でしたが、午前中から警察車輌に白バイ、そして沢山の警察官とで厳重な警戒体制でした。

 

その理由は、安倍内閣総理大臣が、参列するからのようでした。

 

その日は、とても暑くてあまりの暑さに熱中症になるんじゃないかと思ったぐらいでした。

 

会場の周りは、警察官にマスコミ関係者、そして参列者と、人・人・人で人酔いしそうなぐらいでした。

 

この暑さの中、また列に並ばなくてはいけないのだろうかと❗思っていたら、私、林社長の代理だったので受付で並ばなくとも来賓の黒リボンを渡され、スムーズに会場内に案内され前列側に座ることとなりました。

 

端の方にいたので、すぐ隣にはカメラがあり、残念ながら死角にいたためカメラには写りませんでしたσ(^_^;)?

 

最前列には、安倍内閣総理大臣や翁長知事、久米島町長、そして沖縄の県議や各市町村の議員などなどが並ばれていて、普段、会うことの無い皆さまを間近で拝見することができました。

 

はい、めちゃめちゃ緊張しまして、クーラーガンガンの会場内でしたが、ずっと汗が半端なかったです( ̄□ ̄;)!!

 

緊張から疲れてしまったのか?その夜は、早い時間から爆睡してしまいました(笑)

 

全ての式が終わり、献花をして会場外に出ると、久米島町議会議員のメンバーがいてお話しさせていただきました。

 

久米島は小さな島ですから、ほぼほぼ知り合いばかりなんですが、議員の数名は、子ども達を通して学校の父兄として一緒に活動してきた仲間でもあったので、しっかりと琉球治療院の宣伝もしちゃいました(^o^)v

 

凄い会社に入社できて安泰だねと、お誉めのお言葉いただきました(笑)

 

今は、まだ会社の名前に助けられている私ですが、いつの日か「貴方のお陰で」と言われるような繋がりを広げていけるように頑張りたいですね。

 

ところで何故、私が県民葬に参列できたのかを書いていませんでしたね。

 

うちの会社の林社長は、公私ともに大田昌秀先生と交友があり「沖縄を林君に託す」とまで言われていたそうです。

 

最初にお会いしてから、半年に一度くらいのペースで大田昌秀先生と林社長はお酒を飲みに行かれていたそうです。

 

80~90代なのにもかかわらず、毎回、深夜の3時くらいまでお話をされ、ウイスキーを1人で1瓶空けるほど、たくさん飲まれていたとのことで驚きです。

 

戦争のお話はもちろんのこと、モノレールを作ったキッカケや政治の裏話、第2次世界大戦後の米軍の裏話、密約文書のお話、大学の裏話、県知事になられた後に自らの意思に反してでも行わなければならなかったことなどのお話、参議院議員でいらした際に政府に掛け合って一括交付金の交渉をされたお話など、数えきれないお話を毎回マシンガンのようにお話しされていたそうです。

 

大田昌秀先生は林社長の結婚式の来賓として乾杯のご挨拶もされたそうですし、たくさんの学術界のTOPクラスの皆様などを琉球治療院にご紹介して下さったそうです。

 

「林君が選挙に出るんなら、自分が選対本部長になる。1日でも早く出なさい」と何度も背中を押されたこともあるそうです。

 

…念のために申し上げておきますが、林社長は選挙に出るつもりは一切ないそうです。

 

林社長は県民葬に来賓として招待されたのですが、今回は県外出張と重なってしまい、泣く泣く参加を断念せざるを得なかったんです。

 

社長の代理としては、おこがましい限りではありますが、久米島出身と言うこともありまして、私が参列させて頂くこととなりました。

 

とても良い体験をさせていただき、感謝ですね。

 

そして、そのご7月29日の土曜日には、久米島でも町民葬が、行われ600人余りの町民が、参列したようでした。

 

写真03

 

久米島では、琉球治療院からは、施術の先生の吉野先生が参列しています。

 

実は、私の母も町民葬に参列してきたそうで、「人も沢山いて凄かったよ~。久米島でこれだから県民葬凄かったでしょう。」と言われました(^w^)

投稿者: 琉球治療院